アキ・カウリスマキ監督『ル・アーヴルの靴みがき』

本作は移民の「越境」がテーマなので、「境界」が重要なモチーフとなる。例えば48分辺りのアコーディオン奏者と移民の少年を同時に収めるショットにおける「段差」と画面分割。軽々と越境する人々と、その場に立ち尽くすしかない2人の対比。「犬も繋がれている」。「境界」といえば終盤、警視と少年を隔てるドアの扱いが大変スリリング。ちなみに、少年の窓からの逃亡は、直前の警視と老人の会話における壁面の「絵画」で予告されている。「窓は開かれている」。その後、港に警察が到着した途端に「カモメが羽ばたく」演出が絶妙。
さて、本作においてはオフスクリーンの音響・音声の扱いに注目したい。冒頭の殺人、最低限のショットと音声で鑑賞者に状況を飲み込ませてしまう手際の良さに感心したのだが、このオフの扱いは本作の続きを見ると一貫しているし、何故このような扱いにしたかも理解できる。「殺人現場」「知事の姿」「コンサート中に迫る警察のパトカー」これらは全て「死(あるいは死神)」の暗喩であり、カメラのフレーム内に収まらない。何気なく日常を生きる私たちにとって「死」はヴェールの向こう側の世界だから。
問題は「死」からいかにして逃れるかだ。答えは「箱」。コンテナ、納屋、クローゼット、野菜を乗せた荷車、密航する船等の少年の隠れる場所=「箱」のモチーフの変奏と反復。これは「妻の服を包装し病院に届ける」行為とも結びついている(無論、序盤、港に食糧を入れた袋を届ける行為、コンサートで稼いだ金を「包装」する行動にも)。
ラスト、何故妻は病から蘇ったのか。「死から逃げ切った」からだ。ロックボーカルとその妻の和解(あの影の演出。ボーカルは光と声を取り戻す)、そして主人公と警視の和解と妻の復活の対比。